サンフォード・マイズナー氏

1905-1997

サンフォード・マイズナー氏は、マンハッタンにあるネイバフット・プレイハウス演劇学校の演出家でもあった。 慎み深さとカリスマ性とを合わせ持ったマイズナーは、数少ない本当の演技教師であり、真実に、自然に、そして感情的に信じられるものを創造すことを、数多くの生徒たちに説いてきた。 その生徒の中には、スティーブ・マックウィーン、グレゴリー・ペック、ジョアン・ウッドワード、ダイアン・キートン、ジョン・ボイド、ロバート・デュバル、グレース・ケリー、トニー・ランドル、ピーター・フォークなどの俳優たち、シドニー・ルメット、シドニー・ポラックなどの映画監督、劇作家のデビット・マメットなどがいる。

1905年8月31日、サンフォード・マイズナー氏は毛皮商人ハーマン・マイズナーの家に生まれた。 そしてエラスムス高校、ダムロッシュ音楽学校、シアターギルド演劇学校を経て、映画「欲しいものは分かっていた」のエキストラでデビューし、25歳の時にリー・ストラスバーグ、ステラ・アドラーやエリア・カザン等と供にグループ・シアターを興した。 グループ・シアターはモスクワ芸術劇場のコンスタンチン・スタニスラフスキー氏の演技法「感情的記憶」を用い、1931年から1941年までの10年間、野心あふれる社会劇をブロードウェイで次々に上演していた。

マイズナー氏はそこで、「ゴールデン・ボーイ」、「黄金の鷹男」、「目覚めて歌え」、「失われた楽園」などの主要人物を演じた他、多くの役を演じ、1935年のクリフォード・オデッツ作「レクティーを待ちながら」ではオデッツと共同演出し、評論家に絶賛された。

マイズナー氏はその頃から、演技とは「想像上の状況に真実に生きる能力」だと確信しはじめていた。それはスタニスラフスキー氏の「感情的記憶」にはある意味で限界を感じていたからだ。グループ・シアターの中でもそのことが問題となり、メンバーの一人ステラ・アドラー氏が代表して、晩年のスタニスラフスキー氏を直接訪ねる機会を得た。氏はステラに言った。「俳優の感情的問題の解決は、“想像上の設定の中で、人間の問題を十分に理解することだ”」 このメッセージはその後のグループ・シアターの活動に大きな影響を与えた。

1935年からはネイバフット・プレイハウスで教師となり、翌年同校の教師長となり、指導するようになった。 その後も数々の優れた舞台や映画に出演するが、1964年からは教師に専念した。

彼は1990年にアメリカンマスターというTV番組(PBS局)で、「演劇の最高の秘密」として紹介されました。そのインタビューで彼はこう答えました「私のメソッドは、グループ・シアターの中で、心を打ち込んで学んだ指針となる原則を、強化するように作られている。 その原則とは、“芸術は人間の経験を表現するものだ”ということだ。 私はこの原則を決して放棄したことはないし、これからも放棄しない。」 さらにこの番組のことはTVャーナルという雑誌でも紹介されました。

ネイバフット・プレイハウスは、ニューヨークのマンハッタン1番街54丁目にある。教室には標語として「考える前に行動しろ」「1オンスの行動は、1ポンドの言葉と同じだ」というのが額に入って揚げられている。

「演技は、本能と直感によって基礎付けられており、俳優の内面に流れるリズムは、どんな動作よりもコントロールし難いものであるが、もし、シーンを本当に“生きたもの”にしたければ、その微妙なバランスを維持し続けなければならない」といつも生徒たちに忠告していた。

劇作家デビット・マメットは「マイズナーは、私達が出会った本物の内の一人だ。 彼は、真実に直面しなければならない事を、我々に悟らせてくれた」と語った。 また、「刑事コロンボ」でお馴染みの俳優、ピーター・フォークは「若い頃から、自分が尊敬できる俳優の理想像を追い続けてきた。 彼はそれを与えてくれた」とインタビューで答えた。

1995年2月に放映されたTVシリーズ「ER」に、患者役で出演したのが最後の演技だった。 それについて、「E.T.」や「A.I.」などで有名な映画監督のスティーブン・スピルバークは「これほど長い間、演技を教え続けてきた先生が、遂に生徒達の前で最高の演技を示す事が出来たのを見れたのは、嬉しいね」と語った。

1997年2月2日、半世紀もの間数千人の生徒達に、演技を教え続けてきた偉大な先生は、カリフォルニアのシャーマン・オークスにある自宅で、永遠の眠りについた。 享年92歳であった。

書籍:サンフォード・マイズナー・オン・アクティング

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